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【Part1 好奇心は学びの原点】
【Part2 遊びから「好き」を見つける】
【Part3 未就学児は「一緒に」遊ぶ】
【Part4 キャラの力を借りる】
【Part5 家の中で小さな社会をつくると】
【Part6「遊び」は自己肯定感の第一歩】
<お話を聞いた人:吉澤一雅さん(通称 ヨッシー塾長)>
東京都 探求自立型教室 シン・スクール代表。『シン・ニホン』公式アンバサダー。
元放送作家、ゲーム企画、カジノ企画といった「遊びの仕事」を15年従事したのち、2012年より小中学生向けの学習塾を清瀬市で起業。2020年から、新しい学びに向け「学びと遊びを融合して好奇心と自立心を育てる」探究自立型学習教室 シン・スクールを立ち上げる。2021年6月より、同コンセプトのフリースクール「シン・フリスク コース」を新設。子ども目線に立った「面白さ」の中から、大人目線の「学びになる」ものを選ぶことで、本当の「好奇心」を刺激し、本当の「主体性」を伸ばす学習方針。書籍『シン・ニホン』の公式アンバサダーとして考え方に共感し、「異人」を応援する活動を行う。
吉澤一雅さんツイッター:https://twitter.com/yosizawa185
探求型学習支援塾シン・スクール:https://www.shin-school.com
<聞き手:杉山錠士さん>
兼業主夫放送作家。NPO法人ファザーリング・ジャパン会員。
1976年、千葉県生まれ。高2と小3という年の離れた二人の娘を子育てする兼業主夫放送作家として、FMラジオを中心に情報番組、子育て番組などの構成を担当。「日経DUAL」をはじめWEBメディアでは各種コラムや記事を執筆し、「日大商学部」「筑波大学」や大田区両親学級、品川区男女共同参画課などで講演を実施。地域ではPTA会長やパパ会運営を歴任。子育てアイテム「パパのツナギ」企画制作販売、パパ向け情報サイト「パパしるべ( https://papashirube.com/ )」編集長。
◎協力:Read it LOUD阿佐ヶ谷校(アルーク阿佐ヶ谷内)
トーク内容テキスト(一部編集しています)
(杉山)やっぱり、長い目でみて、小さい頃から遊びに触れて、自分から興味を持ったり、自分から「好き」って言えたりが小さい頃に出来るといいですよね。
「あれが好き」「これが好き」と言った時に、怒られない環境があると、言える子になっていくという事はあるんでしょうか?
(吉澤)そうだと思います。
これはですね、家庭全般で無理にやらなくても僕は良いと思っているんです。
どうしても、僕も親だったから分かるんですが、子どもたちが何か遊んでたりすると、得意な方じゃなくて、「これダメね」とか「あなた、これ苦手ね」とか、「これ嫌いね」と、そっちばっかりに目がいってしまう事があるんですよね。
「これができないね」とずっと言い続けると、主体性は伸びないので、いかに「これが好きだね」「これが得意だね」っていう方を、一緒に見つけてあげられるかどうか。
これはね、なかなか家庭の中だけでは、そうは言っていられない状態が起きるので、普段の教え「しなきゃダメでしょ」と伝える躾の部分と、好奇心とか遊びを引っ張り出す部分を、切り替えてあげたほうが良いかなと思います。
その切り替えとして、キャラ(パペット)が出てきたりする。
もちろん親として叱るときは、親として言ったりする場合もあるんですが、ちょっと間を保ってもらう為にキャラを入れたりする。
スクールに来ている子達も、家ではちゃんとしないといけないっていうのがあるけど、スクールでは自由に、本当に好きなことをしてもいいということを、敢えてやっているんです。
だから、「この教室でこんなに好きな事やっても良いんですか?」と言われる事があるんですけども、それは敢えてそうしている。
それを、家でもそうしなきゃいけないっていうのは、僕はあまり言わないです。
そこは、バランスだから。
家で、ある程度制限なり、躾なり、学校行ってる子の場合は、制限があるけど、好きを伸ばす場所というのも両方用意した方が良いのではないかな、っていうような提案なんです。
(杉山)吉澤さんの支援スクールに来られて、これまで抑圧されてる子はいきなり遊べなかったりするのではないですか ?
(吉澤)そもそもうちの場合は、集めて何かをするというやり方ではなくて、「こんな事やってるけど、来たい人いる?」という感じの集め方なので、やり(遊び)に来るという感じです。
だから、おっかなびっくり、というのは少ないかな。
お母さんとかに連れられて、面白そうやからとにかく行きなよ、という子も中にはいるんですが、そういう子も、遊びから入ればすぐにやります。
「それ面白いですね」ってなります。
この前、中学3年生の子が来て、誘っても「いいよいいよ…どうせ」ってなっていたんです。
家でフォートナイト(オンラインゲーム)をずっとやってると聞いたので、VRのゲームを装着して、撃つゲームを体験させたら「すごく面白い、こんなのがあるんだ!」ってなって、「じゃぁ通う」になりました。
色んな前提や言葉よりも、「面白い」と思う事には、素直に反応するのが子ども達なので、ダイレクトにいきなり面白がらせちゃう事から入って、だんだん学んでいくという順番。
キャラ(パペット)も同じ。
まず面白がらせる、興味を惹かせる。
その後、キャラがもっともらしい事を言う。
「遊んでばっかりでもなぁ」と、遊んだ後に言われると入ってくるんだけど、先に言われると引くわけですよ。
まずは、楽しませましょうよ。
面白くさせましょうよ。
それが、今やっているスタンス。
ずっと通じている部分です。
(杉山)それは効果がありますか?
(吉澤)ありますね。
家の中で、ずっと鬱屈していた子とか、学校でも批判されていた子なんかが、ちょっと(スクールに)来て、遊びだして、面白いとなって、それで自己実現、それで良いんだ、遊んで良いんだと、発散すると、それだけで認められた感があって、気持ちがスッキリするという部分があります。
自分にもう一度自信を取り戻す。
ずっと否定され続けていた子も、そこからまた自信を取り戻して、どんどん自分の好きな事をやろうとする。
それをまずは認めてあげてから、「ちょっと声が大きすぎるから注意しようか」という言葉は、届いていく。
先に注意から入るとシュンとなっちゃう。
(杉山)今のお話しを聞いていると、怒られる環境って、あまり変わらないじゃないですか。
家で怒られる、学校で怒られる、それって環境は変えようがなく、難しいじゃないですか。
だけど、その環境は変わらないんだけど、その子の向き合い方、自信自体が強くなっていると、そう言われているのも、ただ単にヘコむんじゃなくて「俺にはアレがあるし」という強さに繋がるという事ですよね。
(吉澤)確かに、確かに、そう思います。
本当の自分はココにあるけども、こっちではルールに従わなければいけない、ココではこれに従わなければいけない、というように区分けができるようになるんですよね。
認めてくれる所が1個ある。
本来それは家庭であったり、どこかの場所であったり、遊び場、友達同志の仲だったりしたんですが、そこがだんだん無くなってきて家と学校のWで厳しい状況になってくると、逃げ場がなく、自分を見失いがちになってしまいます。
家庭の中でも、全部認めてあげる遊びの場、切り替えみたいなのがあると、より自信が持ちやすくなる。自己肯定感みたいな所でしょうか。
遊びと、自己肯定感は非常に繋がりが深いと思うので、「遊び=その子がやりたい事・好きな事」だったりするので、それを認めるが自己肯定感の第一歩ではないかという所です。
何もしていない状態で、「あなたはそのままで良いのよ」と言われても、ピンとこないんですよね。
女の子は、それで大丈夫な子もいるんですが、男の子は何かやりたくて仕方ない。
じっとしていられない子が多いんですよね。
僕もそうだったんですけど。
その時の、認め方って、やらせてみてから認めてくれるという状態が一番ありがたいので、出来れば、遊びも含めてやってみて、認めるというのが良いかなと思います。
(杉山)吉澤さんが、子どもの年齢問わず保護者の皆さんに伝えたい「遊びの素晴らしさ」とは?
(吉澤)まず、親の喜びとしてあるのは子どもの笑顔だと思っています。
遊びの素晴らしさは、子どもの笑顔が見れる事。
こんなハッピーな事はないですから、それをしましょうよ。
それが、遊びの第一前提です。
その次に、親として心配する事が、心と体の部分。
子ども達の心と体が健康であって欲しい。
第二段階として、遊びから入っていくと、心と体が健康になるという事が間違いなくあるので、それをしましょう。
第三段階目に、今からの、これからの社会は、遊びから生まれた自己肯定感、好きな物、得意な物が、社会接続に繋がっていくんだということ。
勇気をもって、今までの古い価値観にとらわれずに遊びを強く推していきましょう。
ただの、労働ではなくて、やり甲斐のある仕事にしていく為にも、まずは遊びを育てていきましょう。というのが僕からのメッセージです。
(杉山)周りの環境は変えられなくても、それを遊び化するような発想にも繋がっていきますよね。
そういう意味でも、たくさんの遊びを知っていると、サバイバル能力が強くなる気がしますね。
(吉澤)社会的に、どうしてもそこから逃げられないという場合がありますが、ゲームや遊びの中でも、そういう状況ってあるんですよ。
でも辛い状況があるから、後で楽しくなる。
遊びって、一括りに言っちゃうと、ずっと楽しいだけの状況が遊びと思われがちですが、全然そんな事はなくて。
遊びの中で負けたりもするし、ルールがあるので辛い思いもするんだけど、それを含めて面白いよねという遊びに触れられると、色んな状況におかれてもそれを遊びに繋げるというのはあると思います。
勉強はまさに、それが大きいですよね。
どんどん問題をクリアして行くのが好きな子っています。
パズルゲームをクリアする要領でやっていく。
そういう子は数学系が向いています。
でも、逆にそういう謎解きが好きじゃない子もいます。
そういう子は、お話しが好きだったりするので、国語的要素が向いていたりします。
遊びの中には、全て先の要素が詰まっているので、遊びを通じてその子を知る事が、生きて行くためのサポートとしては、重要な事を示すのではないかと思います。