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【Part1 部屋づくりで変わる育児の変化】
【Part2 家事スキルはルールからはじめよう】
【Part3 不仲な夫婦がやりがちなこと】
【Part4 家事シェアの目的とは?】
【Part5 三木さん自身の家事シェアについて】
<お話を聞いた人:三木智有さん>
家事シェア研究家 NPO法人tadaima! 代表
1980年、鳥取県生まれ。フリーでインテリアコーディネーターの仕事を請け負うかたわら、男性の暮らし方を変えていきたいと2011年NPO法人tadaima!を設立。”10年後、20年後も「ただいま!」って帰りたくなる家庭にしよう!” をスローガンに、家族の家事シェアを当たり前にする活動中。
NPO法人tadaima! http://npotadaima.com/
<聞き手:杉山錠士さん>
兼業主夫放送作家。NPO法人ファザーリング・ジャパン会員。
1976年、千葉県生まれ。高2と小3という年の離れた二人の娘を子育てする兼業主夫放送作家として、FMラジオを中心に情報番組、子育て番組などの構成を担当。「日経DUAL」をはじめWEBメディアでは各種コラムや記事を執筆し、「日大商学部」「筑波大学」や大田区両親学級、品川区男女共同参画課などで講演を実施。地域ではPTA会長やパパ会運営を歴任。子育てアイテム「パパのツナギ」企画制作販売、パパ向け情報サイト「パパしるべ( https://papashirube.com/ )」編集長。
◎協力:Read it LOUD阿佐ヶ谷校(アルーク阿佐ヶ谷内)
トーク内容テキスト(一部編集しています)
(杉山)家事の得意/不得意、スキルの問題について。
三木さんから見ると、そのギャップはどうやって埋めたらいいですか?
それとも、埋めなくてもいいんでしょうか?
(三木)基本的には、埋めなくていいと思ってます。
本当にスキルが大事な場面は、普段の生活するレベルの家事の中では、ほとんどないと思います。
スキルじゃなくて、ルールなんですよ。技じゃない。
例えば、料理とかには、「包丁をうまく使えない」「皮が上手にむけない」など、最低限のスキルはあります。
でも、ミールキットってご存知ですか?
食材が全部切れていて、あとは炒めるだけ。
それを使えば、(「食材を切る」「皮をむく」という)スキルもいらないんですよね。
洗濯機を回すのには、スキルはいらないですよね。
洗濯物を干すのはスキルじゃなくて、「このぐらいの間隔で干しましょう」というルール。
洗濯物の畳み方も、「こういうふうに畳んだらここの収納の収まるから、こう畳んで、立ててしまいましょう」というルール。
最低限のルールだけを共有しておく必要はあっても、スキルについてすごく考える必要はないと思います。
「苦手」「できない」というケースや、ルールの共有が面倒なケースもあると思います。
ある時間帯ですべき家事を洗い出してシェアしていく場合、例えば「料理はママが得意だから料理はママがやった方がいい」となったのならば、「ママの料理中には、パパは何をやったらいいか」というぐらいの決め方でいいと思います。
「洗面所の掃除は得意/不得意」などと、細かいことをを考えだすと、なかなか進まない。
それでできる方がやるとなったら、永遠に、できる方しかやらないですよね。
(杉山)「うちは、できる方がやるっていうことになっている」という声もよく聞くが、これは軋轢を生みやすい?
(三木)それができる人たちって、同じぐらい家事ができる。バランスがとれている。
ママのほうが得意などは多少はあるかもしれないが、自分が不得意なことを相手ができるというバランスが取れてるから、「できる方がやる」でうまくいっている。
例えば、パパができる家事がテーブル拭きしかない場合、「できる方がやる」は成立しないわけですよね。
「俺はテーブルしか拭けないから」って言われちゃったら、もう、話にならないですよね(笑)。
「できる方がやる」がうまくいくのは、シェアする気持ちもスキルも高いという、ある程度条件が揃ってる人たちの、行きついた先です。
(杉山)上級者ルール?
(三木)それがもう、最終形態だと思う。
「できる方がやる」でうまくいってて、お互い不満がない。
(杉山)今のお話で印象的だったのが、「洗面台の掃除は、できる/できないじゃない」というお話。
でも、みんな平気で「できない」って言いますよね?
(三木)はい、平気で「できない」って言いますね。
(杉山)あれは、どうすればいいですか?
結局、ルールが分かっていないということでしょうか?
(三木)ここで言うルールって、「洗い方のルール」などのことではなくて、やる人がゴールに向けて決めていかなくちゃいけないものだと思うんです。
洗濯物畳みしても、洗い方にしても、何にしても、「ルールが分からない」「スキルがない」と言われるのは、(ママが家事の中心を担っているとした場合)「ママのルールが分からない」「ママのルールにのっかれない」ということ。
「やり方が違う」「効率が悪い」「それじゃ綺麗にならない」などは、やっている人のルール、価値観なんです。
無理なんです。合わないんです。
そこを合わせようとするから、絶対うまくいかない。
もし自分のパートナーに担当してもらうと決めるんだとしたら、そのやり方は、やる本人が自分で見つけていかなくちゃいけない。
「どうやったらキレイになるか」を考えるところからやる。
そうでないと、教えられて、やらされてって、自主性が芽生えないじゃないですか。
結局、「オーナーシップが足りない」というのは、そういうことなんです。
(杉山)なるほど。
シェアというイメージに立っていないと、自主的にできないということ?
(三木)「言われたことを言われた通りにとりあえずやろう」みたいな感じでやってると、できないです。面倒くさいですから。
だから、土台ってすごく大事なんですね。
(杉山)でも…
さっきから、「でも」ばっかり言っていますが(笑)
(三木)どんどん「でも」って言ってください(笑)
(杉山)やらない人、できないタイプの人って、「教えてくれ」「分からないから、どうするの?教えて」って言う。
でも、言った通りにやらないですよね。
それは、シェアっていう感覚にたどり着いてないということですか?
(三木)というよりは、「どうやるの?」って教えてもらって、100%言われた通りにやる人って、あまりいないですよね?(笑)
仕事でも、何でも。
「どうやるの?」って聞いて、自分の中で課題が明確になっている場合は、やるじゃないですか。
例えば、シミを落としたいという時、「この洗剤にこのぐらいつけておくと、シミが落ちるよ」と言われたのに、それをやらないんだとしたら、それは、やらなかった人の問題ですよね。
じゃあ「洗面台をどうやって掃除すればいいのか分からない」という時に、伝える側は「この洗剤をこのタイミングで使って」など細かく伝えるよりも、「私はこうやってる」ぐらいの感じでいいと思います。
それはあくまでも、参考のベースなので。
それをベースに、やる本人がどういうやり方を組み立てていくかいうのは、本人に考えさせてあげたほうがいいですね。
「洗面台がキレイになる」という結果だけは、一緒にしておく必要があります。
そのための注意点などは伝えていくんですけど、それ以外のやり方みたいなところは、本人に考えてもらう。
時間はかかりますけれど、必要なことかなと思います。
(杉山)あくまで、アドバイスぐらい?
(三木)アドバイスもそうですけど、「私はこうやってる」です。
「私はこうやってる」ということをちゃんと言わないと、その通りにやらないと間違え、という感覚になるんですよね。
(杉山)なるほど。
今、ちょうど質問が来ています。(※動画収録はライブイベント)
「それ(洗面台を一方に任せること)は、【分担】ではないんですか?」
分担は分担なんですよね?
家事シェアと家事分担が全く別物ということではないんですよね?
(三木)家事分担か、家事シェアかは、言葉のニュアンスの違い。
ただ言われたことを、言われたまんまに、自主性もなくやってるっていうのがよくないと思っています。
面倒くさいけれど、シェアをしていくということが、家族としての形を築いていくことにつながっているんだっていうふうに信じられるかどうかというのが、結構大事。
それを信じられないと、やってることの意味がわかんなくなっていっちゃう。
「なんでこんな面倒くさいことをいちいちやらないといけないんだ」ていう風になってきちゃうので。
(杉山)なるほど。
家事って、いくつかタイプがあると思います。
よく言うのは、「マイナスからゼロに戻す家事」と「ゼロからイチを作る家事」。
それから、元に戻したりするのは結果が見えやすいけれど、予防する家事って結果が見えにくいじゃないですか。
どういう心構えでやっていけば、結果が見えにくい家事をやっていきやすいのか、アドバイスはありますか?
(三木)あります。
「名もなき家事」「見えない家事」と呼ばれるものは、それに名前を付けて可視化させてたら、ものすごい膨大な数になる。
例えば、麦茶の残りが1センチをきったら買いましょうとか、 トイレットペーパーが残り3センチになったら交換しましょうとか、1個1個にルールを決めてられないじゃないですか。
1個1個のルールを決めることじゃなくて、家族の中で共有しておいた方がいいと思うのが、家事は、終わらせることじゃなくて、次に使う人が使いやすくするための準備をすることなんだっていう意識。
子どもに伝えるときにも、すごく大事だと思います。
みんな、点で見ちゃうんですよね。
「ごはんを作る」とか「掃除機をかける」とか、育児だったら「オムツを替える」とか。
でも、点で見ている以上、その点を「やったか/やらないか」で終わってしまう。
もうちょっと長いスパン、面で見てほしい。
その時に何を考えるかといったら、「これを次に使う人は使いやすいだろうか?使える状態になっているだろうか?」ということ。
だからお茶を1センチ残すのも、「次の人はこの1センチで満たされるだろうか?」と考える。
満たされないようであれば、残りは自分が飲んじゃうか、別のところに取っておくかなどして、次の人が飲める状態を作っておく。
トイレットペーパーも、「残り3センチでお尻を拭けるだろうか?」と考える。
たぶん、拭けないですよね。
そうなった時に、次の人が拭ける状態にしてあげなくちゃいけない。
靴もそうですよね。
玄関に入ってきた時に、「他の人の靴を踏みつけないでも、靴を脱いだりできるだろうか?」とか。
一事が万事、そうだと思うんです。
全部完璧にすることは難しいですが、そこを家族でお互いで言い合う。
「この状態だと、次使いにくいよ」「この状態だとダメだよ」というのを、お互いでチェックし合う。
我が家では、わりと冗談ぽく言い合ったりするんです。
すごく厳密なルールじゃなくてもいいけれど、その感覚を頭の片隅に置いておくというのはとても大事だと思います。