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【Part1 なぜ夫婦ゲンカをしてしまうのか?】
【Part2 共同生活の範囲の中での違いを認め合う】
【Part3 自分がゴキゲンでいるために】
【Part4 夫婦のコミュニケーションは日常の積み重ね】
<お話を聞いた人:熊野英一さん>
株式会社子育て支援 / ボン・ヴォヤージュ有栖川 代表
1972年フランス・パリ生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。メルセデス・ベンツ日本にて人事部門に勤務後、米国インディアナ大学に留学(MBA/経営学修士)。製薬企業イーライ・リリー米国本社および日本法人を経て、保育サービスの株式会社コティに統括部長として入社。2007年株式会社子育て支援を創業。保育サービスを展開しながら、アドラー心理学に基づくコミュニケーションを伝えるべく、全国での多数の講演や「アドラー子育て・親育てシリーズ」「パパのためのアドラーシリーズ」「アドラー式 老いた親との付き合い方」の刊行等を通した活発な情報発信も行う。
<聞き手:杉山錠士さん>
兼業主夫放送作家。NPO法人ファザーリング・ジャパン会員。
1976年、千葉県生まれ。18歳と10歳という年の離れた二人の娘を子育てする兼業主夫放送作家として、FMラジオを中心に情報番組、子育て番組などの構成を担当。「日経DUAL」をはじめWEBメディアでは各種コラムや記事を執筆し、「日大商学部」「筑波大学」や大田区両親学級、品川区男女共同参画課などで講演を実施。地域ではPTA会長やパパ会運営を歴任。子育てアイテム「パパのツナギ」企画制作販売、パパ向け情報サイト「パパしるべ( https://papashirube.com/ )」編集長。
◎協力:Read it LOUD阿佐ヶ谷校(アルーク阿佐ヶ谷内)
(杉山)相手がすごく怒ってきた時には、どう対処すればいいのでしょうか?
(熊野)相手が怒っているということは、相手が怒りという演出で何かを訴えてきているということ。
だから、相手に共感することです。
怒りは置いておいて、「こんなに怒ってまで、私に何を伝えたいんだろう」ということに興味関心を持って、相手になり替わろうとします。
例えば、夫婦間なら、「どうしてこんなにひどいことを言うのか」と考える。
それに怒りで反応するのではなく、「パートナーは、私に一体何を訴えたいのか」と相手に乗り移る。
そして、落胆なのか、心配なのか、寂しいのか、悲しいのか…興味を持つ。
(杉山)怒っている相手には、論破したい・主導権を得たい・優越感を感じたいなどの気持ちがあるんでしょうか?
(熊野)そこで論破したり、主導権争いになると、戦いになりますね。
(杉山)怒っている相手の一次感情は、「伝えたい」?
自分が思っている正解を、ちゃんと相手に理解させたいと考えている?
(熊野)「なんで分からないの」という、残念感でしょう。
(杉山)「残念」の怒りなんですね。
(熊野)「残念」が怒りとなって、アピールしてきている。
(杉山)怒っている状況に共感するために、聞く・反論しない。
状況が緩和するまでは待つことが必要でしょうか?
(熊野)テクニカルには、その場を離れるなどやった方がいい。
「あなたがすごく怒っているのは分かるし、非常に残念な思いをしているんじゃないかなと思う。でも、興奮状態で話をしても仕方がないから、申し訳ないけれど一旦離れるね」
と伝えてその場を離れるのは、私はありだと思います。
この対応は、相手からするとすごく嫌かもしれません。
打ちのめして、「私がどれだけ残念か」ということを、ひざまずかせて分からせたいと思っているでしょうから。
でも、仲良くすべきパートナーにそれを求めるのは、いかがなものでしょう。
例えば、自分が妻に「土下座しろ」というような態度で接したら、彼女はとても嫌な思いをして傷つくと思います。
夫婦間で明確に決めたルール違反に当たる行いがあれば、仕方がないかもしれません。
けれど、日常のやり取りの中での価値観の違いで「土下座しろ」などというのは、誤った要求です。
(杉山)夫婦は、そもそも別々の人。
考え方や価値観の違いは、それなりにあると思います。
このギャップは、埋めることができるのでしょうか?
それとも、埋める必要はないのでしょうか?
(熊野)ギャップを埋めるのは、無理だと思います。
むしろ、違うからこそ惹かれ合っている。
生物学的にも、より異なる遺伝子をもつ者同士が惹かれ合うと言います。
フェロモンは、自分の遺伝子の中にある香りと違う香りに魅力を感じるようになっている。
違う遺伝子同士を掛け合わせていくことで、強い抗体を持つようになります。
違っている方が魅力的で、それが好きで結婚したはず。
それなのに、今度はなぜ違うことでケンカをするんでしょう…(笑)。
人間って、不思議だよね。
(杉山)ギャップを埋めず、味わう。
(熊野)ただ、範囲を決めておく必要があります。
違ってもいいけれど、「一緒に共同生活する以上は、この範囲の中での違いを認め合おう」「これを越えたらアウト」という枠組みは決める。
その話し合いを端折ると、よくない。
(杉山)やっぱり、そこはコミュニケーションですね。
(熊野)著書『夫婦の教科書――愛に向き合い、家庭をつくるアドラー子育て・親育て』には、アドラーのことばをいくつか掲載しています。
そのなかのひとつ…
「結婚はふたりの課題である。もしもふたりの間に信頼関係がなければ、何も成し遂げられないだろう。
そもそも信頼関係がなかったら、夫婦としてのスタートを切れないんです。
(杉山)アドラーは、基本的に厳しいですよね…(笑)。
(熊野)厳しい(笑)。
(杉山)言っていることは分かるけれど、そんな風にはできないよ…と思ってしまいます。
(熊野)『人生の意味の心理学』(アドラー著)の中で、アドラーはこのように書いています。
「結婚生活は、ふたりが自分の性格の誤りを認め、対等の精神で対処してくのであれば、適切に成し遂げることができる。」
完璧な人はいませんから、お互いに性格に対してツッコミどころはあるでしょう。
不完全さをお互いに認め合って、対等なパートナーシップの中で対処する・協力し合う選択しなければ、うまくいかない。
もし、皆さんのパートナーシップがうまくいっていないのなら…
ふたりのどちらかが「自分が悪くない」「相手が悪い」と、自分の不完全さを認めていなかったり、相手の不完全さにつっこんだりしているのかもしれません。
対等ではなく、縦の関係。
主導権争いをしたり、どちらが強いか・正しいかというマウントの取り合いをしているのでしょう。
それでは、うまくいきません。
…それが、100年以上前の本に書かれているんです。
(杉山)夫婦ゲンカをしている時には、大抵どちらかが「あなたが間違っている」と言っていますよね。
(熊野)言ってるよね。まさに、主導権争い。
そうは言っても、かつては自分自身も主導権争いをしてきてしまっているんです。
自慢話ではないのですが、今年、「ちょっと成長したな」と感じることがありました。
ある、土曜日の朝、久しぶりにテレビをつけたところ、朝の連ドラの総集編の時間でした。
戦後のジャズ喫茶の場面で、マスターを演じていたのは世良公則です。
すごく久しぶりに見たので、「あ、世良公則だ!」と思わず声に出た。
すると…隣にいたパートナーが「何言ってるの!布施明だよ!」と、すごい勢いで言ってきました。
アドラーを学ぶ前の私だったら、即座にググって写真を見せて、完膚なきまでに論破して、「今画面に映ってるのは、世良公則!」「布施明はこっち!」とやっていたと思います(笑)。
アドラーを学んだ今、ここで論破することにはまったく意味がない。
今日一日をふたりでご機嫌に過ごすことが、私の最大の目標です。
そのために何をしたらいいかなと考えて、「布施明かもね…」というひとことで終わったわけです(笑)。
「うまくできたな」と感じました。
ケンカを選ばず、我慢ではなくて、譲れるものは譲ることで、ふたりがご機嫌に過ごすことができた。
こういうことの積み重ねだよなぁと、思いました。
それから数週間経って、パートナーがご機嫌な時に、その時の話をしてみたんです。
「あの時、アドラーを実践できたなと思ったんだよね…」と。
するとパートナーが、「でも私、あの後、『ごめん、布施明じゃなくて世良公則だったね』って言ったよ?」なんて言ったんです。
言ってないよ!(笑)
記憶がねじ曲がっちゃってるんです。
その後ふたりがご機嫌に過ごしたという記憶はあるから、「ご機嫌に過ごしたのは、自分が謝ったから」と言い張るんです。
謝ってない!(笑)
それぐらい、人って記憶がごちゃごちゃになって、自分の都合のいいように捉えたり、あるいは自分がかわいそうな方に記憶を改ざんしたりする。
(杉山)意識的にやっているわけではない?
(熊野)意識的にではないです。
でも、結論としては、それでいいんです。
記憶がねじ曲げられようが、こちらが譲ろうが、このことに関して無駄なケンカが起きず、仲良くできているのだから。
(杉山)「負けてあげる」という言葉を使うと、上の立場に立ちますよね?
やっぱり、「譲る」ですかね。
(熊野)「譲る」ですね。
どちらが正解だろうと、今ここで楽しく過ごすためにはどちらでもいい。
(杉山)その心の広さは、ほしいですね…
(熊野)なぜあの時譲ることができたのかを振り返ると、私は疲れていなかったし、心に余裕があった。
反対に、仕事でプレッシャーがかかっていたり、体調は悪かったり、忙しかったり疲れたりしていると、どれだけアドラーを学んでいても、言い返していたかもしれません。
「世良公則に決まってるじゃん!」と(笑)。